こんにちは!(^^)/ Mayutaです。
ずいぶんと久しぶりの投稿になってしまいました。2021年ももう3月間近ですね…去年は新しい職場に来て、コロナ禍でしたがオンラインレッスン化がうんと進み、個人的にやっている語学教育事業もお陰様で継続してレッスンをさせて頂いていたりと、お陰様で忙しい方向に物事が進むことが多かったです。
そんなこんなで全く更新できていませんでしたが、定期更新を目指して頑張りたいと思います!
今年最初の更新がこれでよいのか…と言うのはありますが(ベトナム語検定関連の記事も併せてupdate予定…!)、昨日、とあるベトナム人の知り合いが「私の人生は『ピンク色』」と言っているのを耳にして、考えたことについてつらつらと( ..)φ
聴いた瞬間に、「いやいやいや」と思いましたが、何故ダメかと言われると、「そういう感覚だから」としか言いようがなく、習慣として色によって喚起されるイメージが異なるんだよな、と改めて感じました。もしかしたら、日本人の中でもそのような印象を持たない人もいるかもしれないなぁ、と思いました(少なくとも、健全で多感な青少年時代を過ごした男性陣は、返しに困ること請け合い)。
同時に、その人の発言意図として、ベトナム語でCuộc đời màu hồng.というのだろうな、という予想が出来ました。それを直訳すれば、確かに人生は『ピンク』になりそうです。ベトナム語でhồngは、花の名称として『バラ』、色として『ピンク』を指すのです。
ベトナム語のそれ自体も、日本語と同様、恐らくフランス語のLa vie en rose.から来ているのでしょう。そこで、フランス語のroseについて考えてみると、こちらも花の名称としての『バラ』と、色としての『ピンク』があり、ベトナム語と同じ組み合わせを持っています。ということは、ひょっとして元々『ピンク色(桃色?)』の人生だったのかもしれません。
『人生』という言葉についても、フランス語のvieには『生活』という意味もあるため、フランス人の頭の中ではどのタイムスパンで意識されていたのか、気になるところではあります。
日本語で『人生』と『生活』という2つの言葉でこのタイムスパンを切り分けていますし、ベトナム語でも日本語と似た対応関係で、cuộc đời とcuộc sốngという2つの語彙が存在します。
日本人の感覚で『バラ色』はフランス語のrouge(赤)がより近いのでしょうか。少なくとも、『ピンク色』という訳語にする抵抗感があったので、『バラ色』を選択したのかな、と思います。それがその後の世代の人たちの中では『人生』を形容する色は『バラ色』という固定化したイメージとなり、『ピンク』にもそれに伴うイメージがあって、『ピンク色の人生』という組み合わせに違和感を感じる人が出てくるのでしょう。
でも、『桃色の片思い』については、それはそれで違ったイメージがあるので、『ピンク』と『桃色』似た色として認識されているにもかかわらず、違った印象を与えることになるので、やっぱり言葉は人の思考に強い影響を持つんだな、と改めて感じました。
では、本日はこの辺で!
