こんにちは、Mayutaです!
明日ホーチミンから一度東京に帰る予定でしたが…飛行機が飛ぶか分からなくなってきました。台風は今年も強大なようですね。。。被害が大きくならないことを願うばかりです。
さて、今回は言葉の持つ意味が時代とともに変容する事例についてのコラムです(コラムだったのか)。
言葉・言語というのは、それを使用する人の思考の発露と考えているのですが、実際に言語の特徴(文法や語彙、比喩などのレトリック)というのは、その人ないしその民族が自身を取り巻く世界で何を見て、何を感じたのか、によって形成されていると思います。
一方で、言葉・言語もそれ自体が人の感性(=周辺世界の見方、周辺世界への対峙スタンス)や思考に影響を与えているとも考えられます。
どちらが鶏で、どちらが卵なのか…というのは置いておいて、何れにせよこうした相互のやり取りが、言葉・言語とそれを使用する人・民族の間で絶えず起こっていて、何世代にもわたって変容しながらその時代時代の特徴となって世界に現れているのだと思います。
皆さんは『破天荒』、『バサラ』と聴いて、どのようなイメージを持つでしょうか?
「昔からよく言われたよ」という人も少なくないのではないでしょうか。笑
この2つの言葉、同じような意味合いを持っているだけでなく、似たような変遷を持っているようです。
『破天荒』ってそういう意味なんだ、と気づいたのは、7年前に中国で中国語を勉強していた際で、その時は「よく言われていたけど、悪くないじゃん」と思いました。←ポジティブな破天荒
さて、まずはその『破天荒』から。元々は中国の言葉で次のような意味の言葉でした(Wikipediaからそのまま引用します)。
中国・宋代の説話集『北夢瑣言』の記述に由来する。
中国の唐代、王朝成立から100年以上経た後も、荊州(現在の湖北省)から官吏登用試験である科挙の合格者が出ず、世の人はこの状況を「天荒」と称した。天荒とは本来「未開の地」もしくは「凶作などで雑草の生い茂る様」を言う。やがて劉蛻(りゅうぜい)という人物が荊州から初めて科挙に合格すると、人々は「天荒を破った」と言った故事に由来する。旧説には、天地未開の混沌した状態(天荒)を破り開く意がある。
日本で言ったら、「あの高校から東大に行ける人は絶対いない」と言われていた高校から、東大合格者が出た!というような話ですかね。前人未踏、そのコミュニティでこれまで誰も成し得なかったくらいの偉業を達成する、という、かなりプラスのイメージになるんじゃないかなぁと思います。
残念ながら、現代にこの意味で『破天荒』を使う人はきっといないでしょう。誉め言葉のつもりで、『それは破天荒ですね!』なんて言ったら、どんな顔されるか想像がつきません。笑 一方で、『破天荒』は『破天荒』で、新しい地位を獲得しているのではないかなと思います。『あの人ほんと破天荒だよねー』というのも、決してマイナスのイメージばかりではないと思います。
続きまして、『バサラ』です。こちらもWikipediaより引用です。
語源は、梵語(サンスクリット語)で「vajra (伐折羅、バジャラ)= 金剛石(ダイヤモンド)」を意味する。平安時代には雅楽・舞楽の分野で、伝統的な奏法を打ち破る自由な演奏を婆娑羅と称するようになった。これは「ダイヤモンドのような硬さで常識を打ち破る」というイメージが仮託されたものである。さらに鎌倉時代末期以降、体制に反逆する悪党と呼ばれた人々の形式や常識から逸脱して奔放で人目を引く振る舞いや、派手な姿格好で身分の上下に遠慮せず好き勝手に振舞う者達を指すようになり、以降この意味で定着する。
ただし、意味の転訛は不明であるともされ、こうした通説には異説もある。そもそも「バジャラ」の濁音「ジャ」から清音「サ」へ音が変化するのは不自然であり、「婆娑」という言葉が語源で、接尾語の「ら」が付いたものと考えられる。「婆娑」の意味は「舞う人の衣服の袖が美しくひるがえるさま。また、舞いめぐるさま」、あるいは「さまよいめぐるさま。徘徊するさま」(日本国語大辞典)である。先述の『太平記』での記述も、足利方の武士たちが派手な出で立ちで傍若無人に「徘徊(婆娑)」する様を、公家の舞楽用語である「婆娑羅」を用いて自称したと取れる。しかし、『太平記』の記述はその後の婆娑羅の意味を決定づけるものだった。婆娑羅は、本来の徘徊の意味ではなく、それに付随した「派手さ」が本義であると理解される素地ができ、安土桃山時代にはかぶき者と重ね合わされ、粗忽な乱暴者の振る舞いとして婆娑羅は解釈し直されたと考えられる。
Vajraはそのままアルファベット読みすると「ヴァジュラ」になるので…
「ヴァジュラオーン!」


…と叫びたくなりますが(←古いポジティブな破天荒)、「バジャラ」なんですね。笑
こちらは通説と異説ありとの説明がありますが、「バジャラ」説の立場をとると、『バサラ』は元々は「金剛石(ダイヤモンド)」であり、「ダイヤモンドの硬さで常識を打ち破る」という意味合いから成立した言葉のようです(ステキ(*ノωノ))。
これも、元々はマイナスのイメージではないでしょう。それが後々に変遷して、『バサラ』になったものと考えられます。一方で、こちらも時代とともに見直しがかけられて、「人とは違う」という意味合いから、よい意味での使用例もありそうですね。
『破天荒』と『バサラ』、これらの言葉の変遷が意味するところは何でしょうか。
私はやっぱり、日本社会の“常識”礼賛、既存状態への執着、といった要素が大きいのかな、と思います。”常識”を揺るがすもの、既存状態を脅かすもの、といった感情が勝つことが、個々のレベル(=ミクロ)は別にして、総体(=マクロ)として多いのではないでしょうか。
『バサラ』に関しては、プラスのイメージのあった初期の時代でさえ、「ダイヤモンドでないと打ち破れない」ほどの硬さがあるのが”常識”である、ということだとも取れるので、日本社会における”常識”というのは、変化はしているにせよ一度固定化したと見做されると、相当なパワーを持つことになるようです。
言葉・言語は人の思考の発露であり、形式上同じ姿であっても、込められる中身は扱う人次第、ということかな、と思います。
以上、本日のコラムでした!
それでは(^^)/
