こんばんは、Mayutaです(^^)
最近知り合いのお手伝いでベトナム語検定勉強会の問題作成などをしています。
日本人的な試験の目線で問題を作って、参加しているベトナム人ネイティブの方々に問題を見てもらう…を繰り返して今後作り溜めしておこうと思っています。
個人的にも受験するつもりで、今回検定試験3級、4級ダブル受験で、4級合格を目指してます(‘◇’)ゞ
3級は今後の情報収集のための受験ですが…インドネシア語検定とどっちつかずだった去年とは違って、今年はしっかりベトナム語に時間を使いたいと思っています(今年始める予定だったタイ語も文字が一定読めるようになったくらいで手つかずですが…)。
さて、タイトルに書いたkhi nàoですが、ベトナム語で「いつ」を意味する疑問詞です。
ベトナム語では未来の予定等について尋ねる場合このkhi nàoを文頭に、過去の出来事について尋ねる場合は文末に置くことで、それぞれの時制を表すというルールがあります。
じゃあ、「いつやるか?」「今でしょ!」の質問の場合は…(; ・`д・´)
※未来のこととして聞いて大丈夫だと思います。
語順によって意味が変わるというのは面白い発想だなぁと思いますが、我々日本人にとってお馴染みの英語にも、語順で表されている意味があります。
今はどのように教えられているのかあまり詳しくないのですが、私が高校生の頃は、「既知情報」と「新情報」という考え方を教わっていました。個人的な理解では、話し手自身知っているor話し手が聞き手も知っている(共通の認識になっている)と考える情報を「既知情報」と呼び、話し手自身が伝えたいor話し手が聞き手にとって新しいと考える情報を「新情報」と呼び、「既知情報は前方に」、「新情報は後方に」配置する、というものでした。
具体的な例を挙げると、次のような例文です。
① There is a cup on the table. (テーブルの上にカップが1つある)
②The cup is on the table. (そのカップはテーブルの上にある)
( ゚д゚)ん? …(つд⊂)ゴシゴシ
( ゚д゚)一緒じゃん
と中学校の頃初めてこのこれらの英語の文を見たときは思いました。
aとtheの違い、語順の違い、何れも知らなかったので仕方ないですし、その頃はThere is the cup…とか、A cup is …という文章が何でダメなの?ということもよく分かりませんでした。
「There isのthereは訳さない」という注意に慣れてしまって、日本語の訳にとらわれてしまうと理解がしにくいところなのですが、①については英語話者的にThere is…という音を聞いた瞬間に、「なんかある(いる)んだろうな」ということを想定するのだと思います。
その後、a cupと続くことでこれが「新情報」として、「そうか、カップがあるのか」とわかり、そうすると「どこに?」というのが自然と頭に浮かぶのでしょうか、on the tableが続きます。
②については、「どこかにコップがあるのは知っている」ということなのでしょう。そうすると、冠詞も「特定」を示すtheを用いるのが適当で、A cup …で始まることには少し違和感があるのかもしれません。日本語で言えば「あれ取って、あれ」に近い感覚でしょうか(なんだよあれって!)。「既知情報」としてのThe cupが前方に来て、「新情報」としてのon the tableが後方に来る、という位置関係がしっくりきます。
今回テーマにしたkhi nàoでも100%一致はしていないものの、特に過去については似たような整理ができるかもしれません。
① Khi nào anh đi Việt Nam. (あなたはいつベトナムに行きますか?)【未来】
② Anh đến Nhật Bản khi nào? (あなたはいつ日本に来ましたか?) 【過去】
anhは「あなた(同年代の男性)」を意味する代名詞で、điとđếnはそれぞれ「行く」、「来る、至る」にあたる動詞です(điとđếnの使い分けというのも面白いトピックですので、次回書いてみようと思います)。
②の方が当てはまりが良いと思いますが、「あなたが日本に来た」ということは既に両者の共通認識(=既知情報)といえます。どう考えても、この会話は日本にいるベトナム人に日本で尋ねる会話であって、「その人が日本いる」という時点で「どこかのタイミングで日本に来た」ということが明らかです。そこで最後にkhi nào?と「新情報」である来たタイミングを尋ねることができるといえるでしょう。
①についても、理屈を求めればこじつけられそうですが、単に「khi nào」と文頭で会話に出ることが、そもそも「これからする行為」を想定させるワードなのであって、英語のthere isを聞いた英語圏の人が「何かある(いる)んだ」ということを想定するのと同じ現象なのだと思います。「ベトナムに行く」という行為は、そもそも本人がいく予定があるのかどうかも分からない、という意味では「お互いにとっての新情報(具体的に考えたことなかったなぁ)」という風にも言えるかもしれません。
文頭khi nàoの方は、そもそもkhi nàoで始まったからと言って疑問文になるとは限らないこと、本人のその行為をする予定があることが分かっている場合(その行為が将来発生することは既知情報)の質問、の2つの観点で説明が苦しそうだなぁと思います。
引き続き考察を続けながら勉強してみたいと思います( ..)φメモメモ
