言語は関数である~A language is a function~

英語に興味を持ち始めたのは高校生の頃だったか、当時は”英語”という一科目でしかなく、どちらかというと数学が好きだったので、”文系”と”理系”という区分はあまりに極端だなと思いつつ、最終的に文系としての進路となったので、随分大きく逆転したものだなぁ、と思う。

きちんと数学を勉強し続けていたら、きちんとした説明ができたのだろうけれど、感覚的に『言語って関数だな』という考えを持つようになった。

学生の頃は部活をやっていたこともあり、社会人の先輩方と話をする機会も多く、そんな中、自分が言語を勉強するのが好きだというと、『英語はできなくても大丈夫だ』という意見が必ず一度は出てきたものだ。勿論、人によって様々で、出来るに越したことはないという立場の人もいれば、完全不要論を持っている人も中にはいた。

『英語より先に磨くべきものがある』とか、『モノが良ければ伝わる』など、いろんなことを言われ、当時の自分は『いや、趣味なんだし、いいでしょ別に』と思っていた(時に実際に言っていた。笑)のだけれど、同時に、『言語って何なんだろう』と考えるようになった。

大学も後半戦になり、就職活動が始まる時期になると、これまた結構な頻度で『どうして外国語を勉強していたんですか』という質問を受けることが多かったので、上記の先輩たちには考えるきっかけをもらったという意味で少し感謝しておこう。笑

そうした際は必ず、『言語は関数で、日本以外への変換効率を高める必要があると思ったからです』という回答をしてはぐらかす作戦…ではなく、自分の思うところを理解してもらおうと説明を繰り返した。その時によく使っていた例が以下。

対外アピール力(Y) = 素材(X) × 魅せ方(F(X))

→ 素材Xを関数F(X)に放り込むと、対外アピール力Yを得る

同様にして

海外での日本のアピール力 = 日本の素材としての魅力 × 言語能力

例えば、素材が80で言語能力が20ならアピール力は160、素材が50で言語能力が50なら250となる。

自分が就職活動をしていたのはリーマンショック直後だったけれど、一方で中国は依然として成長を続けており、日本のGDPを越えるのも時間の問題といわれていたし、日本のメーカー各社が海外メーカーに苦戦しているニュースを毎日のように耳にしていた。しかも、敗因は質ではなく、日本が”ガラパゴス化している”という言葉も流行りだしていた。

MADE IN JAPANを引っさげ、『アイムフロムジャパン』ではもう通用しなくなっていて、平均的には日本の素材としての魅力は減少傾向にあると思うし、そうした中では関数をupdateして変換効率を上げていく必要があるんじゃないか、というのが当時の自分の思うところだった。

勿論、素材としての魅力をあげることも大切なので、効率一辺倒も良くない。”効率化”だけを追求し続け、縮小均衡してしまう例もよく見かける(組織もしかり)。

今では、言語には関数以外のfunctionがあると思っている。それは、海外の人と一緒に何か新しいことを始める可能性である。この部分は、自分の中ではまだまだ未体験の領域で、引き続き準備段階だけれど、その可能性があることを実体験として証明してみたい。

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